第58回関ケ原戦跡踏破隊の鼎塚訪問(8/4)

2017年8月4日に、第58回目(58年目)となる鹿児島県関ケ原戦跡踏破隊の一行がいなべ市藤原町の鼎塚を訪問しました。この踏破隊という取組みは、鹿児島県日置市の小学生たちの教育のために毎年行われているもので、自分たちの祖先がどのような苦労をしたのかを自分の肌で感じさせることを目的としています。

1600年の関ケ原の戦いで敗れた西軍の島津軍が、東軍の徳川家康を目掛けて突進し、東軍が怯んだすきに東軍の陣地をすり抜けて、その一部の部隊が養老山地を越えて現在のいなべ市に入り、追手と闘いながら北勢町や藤原町を通り、五僧越えを経て滋賀方面にのがれたとされています。前代未聞の「島津の退き口」あるいは「敵中突破」として知られていますが、この時に亡くなった島津軍の兵士の遺体を鼎塚に埋めたという言い伝えがあります。

踏破隊は、毎年の酷暑のこの時期に本地を訪れ、祖先と同じ道筋を、昔の衣装を身に付けて歩きます。子供たちにとっては、かなりの苦行です。

四日市大学の協創ラボ「北勢地域のグリーンツーリズムの拠点づくり」では、いなべ市の地域資源を再発見し、それを観光に役立てる活動を行っています。この鼎塚周辺は数年前まで背の高さほどもある雑草に覆われ、塚の位置もわからない状態になっていましたが、協創ラボの長谷川博久様が中心となり、東村元教授や千葉教授も協力しながら地域の方々と話し合い、地域の方々の力で整備を進めてきました。一昨年度は雑草刈り、昨年度は冠木門の設置、今年度は銘板の設置を行い、昨年度から踏破隊に立ち寄ってもらえるまでになりました。

今年度も元気な鹿児島の子供たちの訪問を、川原地区や鼎地区の方々が協力して迎えましたが、意外にもいなべ市内ですら、踏破隊のことを知る人は少なく、また、いなべ市内の各地域で個別に対応が行われてきたことも、それに関係のあることがわかりました。そこで、今年度に初めて、いなべ市の関係者一同(地域の方々、行政、議員、大学関係者)による合同会議を開き、お迎えの打ち合わせを行い、また、メディア(CTY)にも協力を依頼しました。CTYは、現在、踏破隊の活動を紹介する特別番組の制作を進めています。

踏破隊が鼎塚を訪問した時の写真を以下に示します。

いなべ市の入り口である宝林寺を出発する踏破隊

のぼりを掲げて歩く踏破隊の皆さん

鼎塚に到着したところ

鼎塚に頭を下げる一行

鼎塚で祭文を読み上げる踏破隊の代表者

地域の方々に御礼を述べる踏破隊の皆さん